京都国際写真祭、今宮神社御旅所
GW終盤、日本民族大移動の最中、KYOTOGRAPHIE2004は粛々と執り行われている。しかしこのイベントは年々拡大していて、メインの12会場以外でもKG+SELECT、KG+SPECIALで百ヶ所以上、更に二年前より音楽イベントも連動していて、期間中これらのイベントに参加するのはもはや不可能となっている。それ故に作品性は先ず置いといて、差し迫って興味を啜るモノから接するように心掛ける。コロタイプ印刷の便利堂の次は今宮神社御旅所。こちらの敷地は普段駐車場として使われているが、今宮神社で毎年5月に行われる今宮祭では、神幸祭の日に神社から神様が遷られてから、還幸祭の日に戻られるまでの間、三基の御神輿を鎮座しこの御旅所が神様の居処となる。現在は使われていない能舞台が展示会場となっている。1984年京都生まれの写真家・片岡俊の作品が無造作に、自然に溶け込むように展示されている。三基の御神輿がまだ戻っていない事もあり、その一帯、人っ子一人いない状態で好き放題に撮影していると、橋掛りと呼ばれる渡り廊下の奥から、お若い女性が慌てるかのように飛んできて、こちらは入場口でなく、通りに出られて黄色いノボリの家から、先日貰って来たガイドでは予測不能。4.27 Sat.–5.12 Sun.12:00–18:00Closed: 5.5 Sun.*5.11 Sat., 5.12 Sun.はお祭り開催のため展示縮小。この能舞台は昭和40年代まで使われ、今宮御旅能が奉納されていたらしい。こちらが正式な展示入り口。能舞台に立つのは初めてだったが、外からの方が写真はよく観察された( ´艸`)。これ以外に寂れた中庭にも作品の展示、この展覧会のテーマはなかなか難しい萃点(すいてん)。作者によると、和歌山県出身の博物学者・生物学者である南方熊楠の思想の一つに「萃点」という言葉がある。「様々な因果系列、必然と偶然の交わりが一番多く通過する地点」という意味を持ち、特に〈異なるものの交流する地点〉を呼ぶ言葉である。以前より、人と自然というめぐり流れるものの交差に関心を引かれていた私は、その二つが交わる地点を「萃点」と捉え、熊楠が歩いた和歌山県を中心として各地を写真に撮っている。人と自然が影響を与え合う。そして新たな形や事象を生み出す。言葉にすれば平易に読めてしまうその影響の交差点は、そこにある石を裏返した跡にこそ広がっている。距離を置くことも難しく影響を及ぼし合う二つの存在は、一望することのできない点として私を強く惹きつける。次の一点に向かう一歩、そのひと踏みの真下こそ逃さず見届けたい。点を辿る軌跡は重なり合い杳杳(ようよう)と連なっている。※杳杳:暗くはっきりしないさま。また、遠くかすかなさま。この隣は、大宮通りで地元民に愛されている町中華の「御旅飯店」。一度は食べてみたいと思っているが、安くてボリュームがあるらしい。元々腹八分目、この数年は腹七分目を通している小生には、残して店に失礼になるかと思うと入る勇気がない。いつの時代からか知らないが、若い一部の海外旅行者から、日本は大食いの国として認知されているらしい。テレビは10年程基本的に見ていないが、最も嫌いな番組が「大食い選手権」みたいな類だった。別に日本の食料自給率を意識して腹七分目を通している訳では無いが、それ以上に日本政府の国内食料生産の思慮無さに呆れ続けている。その向かいの若宮八幡宮は「若宮神社」とも呼ばれ、石清水八幡宮を本宮とする若宮になる。何度も前を通っているが鳥居を潜るのは初めて、小さな境内には少し前まで遅咲きの桜が覗いていたが、既に大半は散ってしまい辺りをピンクに染めていた。隙間のフェンス越しに能舞台が見える。その前を近くの部活帰りの中学生が通り過ぎる。又しても二重露光に見舞われる、デジカメが限界近い。フェンスと脚立に蜘蛛の巣?その先には飾られた南紀白浜の神島の海中?南方熊楠は在野の学者であったが、いち早く自然保護運動に尽力し、最近ではエコロジー活動の先がけとして高く評価されだしている。生物学者であった昭和天皇は、皇太子時代から粘菌にも関心をもたれ、熊楠の存在を知っていた。昭和4年、御進講の打診があった。神島で陛下をお迎えした後、御召艦「長門」の艦上にて約25分間、田辺湾の生物について御進講を行い、珍しい生物の標本を多数、キャラメル箱に入れて持参した。熊楠は神島の森が末永く保たれることを願った和歌を詠む、一枝もこころして吹け沖つ風 わか天皇のめてましゝ森そ南方熊楠再びこの地を訪れ、天皇は亡き熊楠を思い、33年の時を越えての返歌、雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ昭和天皇